兵庫県加西市北条町羅漢寺。
年代不詳。南北朝時代・慶長年間説など。
作者不詳。謎に包まれた石仏群。
素朴な彫りで、悲しいとも、嬉しいともつかぬ表情。
髪の長いもの、帽子をかぶったもの、
女性とおぼしきもの、童子と見えるもの。
誰がなぜ、このようなものを作り、
彼らはなぜ、このように立っているのか。
彼らの間を、私たちは駆け回り、
彼らの傍らで、私たちは弁当を食べ、
喋り、泣き、笑った。
「らかんさん」と呼ばれていた彼らが、
ある短い期間だけ、一群の中学生と交わった。
草叢に隠れてその存在さえ忘れられた時期も長く、
静かなたゆたいの中に過ごしていた彼らが、
突如、喧噪と活気に包まれることになった。
私たちとはその限られた数十名であり、
私もそこに、らかんたちの足元に、多感な三年間の痕跡を残してきた。
彼らと私たちの間に、交流と呼べるほどのものがあったかどうか、
毎日の境内の掃除ですら、半ば遊び、戯れながらのものであった。
遊び、戯れ・・・させてもらえるムードが、そこにあったことが、
今ごろになって、とても重要なファクターであったことに気付く。
私たちの卒業とともに、文化財になり、並び替えられた境内には、
もう、甘さも辛さも淋しさも楽しさもがないまぜになったような、
あの、いわく云いがたい雰囲気はない。
謎めいた石仏たちは、今日、羅漢であることさえ疑われ、
ただ佇むがままの、そうあるがままの姿に立ち返っている。
中学生の私が、何ほどのことを彼らから学んだかこころもとない。
たがいに学ぶつもりもなく、教えるつもりもなかったろう日々が、
相遠く離れたなかで、ゆっくりと反転してきたまでのようである。
無垢の寂寥。
無垢の憧憬。
それらが、あのようにありふれて佇んでいたことに驚く。