5月15日 |
「加西の『隠れキリシタン』考察」という講演会があったが、体調万全でないので、終了後の石仏見学だけ合流した。講演会は七十人ほどの参加があったという。そのうち二十人余が羅漢寺を訪れて、境内はいつになく賑やか。雨の後で石仏はみなきれいで明るく見える。 この写真の左のひとは金槌と樫の葉、右のひとは釘と海綿を手にしている、共にキリストの受難具である……という話。他にも、鉈や槍、棕櫚(ヘッダ画像)やクローバーの葉などを持つ石仏がある由。 この人が手にしているのは、イエスの象徴である「魚」らしい。実際ここの石仏は奇妙なものを持っている。仏教的には説明できないものが多いと言われる。キリシタン研究家の説もある程度頷ける。どうやらこの地には隠れキリシタンがいたらしい。謎の五百羅漢とされてきた群の中にもそれらしき石仏が潜む。 講師の方に尋ねてみた。「なるほどキリシタンの象徴的なものを持つ石仏がいるとして、ここに佇む全てがキリシタン仏なのでしょうか?」 「そうです。」とじつに明快な答えが返ってきた。けれど、全部がとなると、にわかには信じがたい。もっと何か複層的な要因があるのではなかろうか。 ぼくがずっと惹かれてきたのは、らかんたちの曰く言い難い表情である。持ち物よりもその手の曖昧な表情である。なぜ、こんなにいろいろな相貌のらかんがいるのか。そして、高室の石と、高室の石工。大きく羅漢の制作に関わっただろう村が語られていないのが不満でもある。 羅漢寺境内のマユミが花盛り。白い十字の花。 |