- 茫々日誌 -


(5.22〜5.30)

1(4.19〜5.6)  2(5.7〜5.17)


5月22日

18日から眩暈で安静、休養。
前夜に描いた草画。筆は鈴蘭。毒のある植物は扱いに気を使う。




アオギリ(四歳)が葉を茂らせて、ふうらが木陰に憩えるようになった。




5月23日

コナラ(五歳)も若葉の季節。

 ここならいいだろ
 こならのここなら
 なんならここから
 こころのそこから

こんなフレーズが以前のメモ帖にあった。




草木と一緒だと、ふうらは生き生きしてくる。

光が美しい。
葉が美しい。
樹下二笑羅。




昔(30年ほど前)の墨絵「樹下二笑羅」。

であいは、天までうれしく、
はなしは、天までおかしく、
わかれは、天からさびしい。




5月25日

玄関で鍵をかけていると蝶が「どこ行くの、気をつけてね」と耳元へ。小学校校門の花壇でもツマグロのメスがスイー、スイーとスキップで近寄ってきた。アゲハもアカタテハも来た。一緒に歩くとなぜか蝶がたくさん見られていい、というのはつれあい。
写真は羅漢寺入口脇のテイカカズラと、ツバメ。




薬師堂にお参りして養生祈願。八日ぶりに羅漢たちと再会。石の身の上も暑いだろうが、精神は涼しそうだ。




あ、石のフクロウがいる、とつれあい。陰影加減でそう見える。毎年フクロウのひなを保護する人が二羽のひなを連れてきたと連絡があって、フクロウ作家でもある音座は午前中に駆けつけたそうで、今日がデビューの小学生歴史ガイド隊の面々は大喜びだったらしい。




「らかん茫々」。 新しく参加、六人目のふうら像。粘土は志野、焼成は能登よろみ村銀河窯。




5月26日

羅漢寺で野点。午後から行ったが、午前中が盛況だったようだ。手前の傘には短冊と花器が掛けられ、オオヤマレンゲが一輪挿してあった。奥の屋根は薬師堂。その左手が羅漢場。




久し振りの一服。美味、滋味。菓子は銘「落し文」。




羅漢場の奥でひっそりと佇む小柄なひと。宗匠頭巾のようなものを被って、茶味も俳味も随意ならかんさんとして敬愛している。




5月27日

スケッチしていたら、「どうぞ」と頂いたというオオヤマレンゲ。撮影に偶々居合わせたふうらも香りにうっとり。




5月28日

石も雨を喜ぶ。蛙のうれしそうな声が響く。休みのつもりだったけれど、ふっと出かけたら旧友が来た。




筆はフキ。ぼんやりとしたふうら、ぼんやりとうしろに写っているドクダミ。




5月29日

羅漢寺、門を入ったところでクロアゲハに迎えられた。




展覧会もあと1日。らかん茫々は、これで終わるのではなく、羅漢が立つ限り、ふうらが旅する限り…。




思思心心(おもいおもいこころごころ)のらかんたち。
東京から来た絵手紙を描く女性が一目で魅了されていた。




筆はヒメジョオン。羅漢場に異人風のらかんがいるような割合で、こういう風貌のひとが現れる。意識して描こうとしたら、反って難しいかもしれない。




5月30日

「らかん茫々」最終日。
矢車菊で描いたふうらと、ヤグルマギクを抱えるふうら。「らかん茫々」最終日。




羅漢場で追いつ追われつ、しばらく飛び回っていた二頭。追うのは小さなナミアゲハ、追われるのは大きいモンキアゲハ。




いい季節に、いい日々を送らせてもらった。こんなにらかんさんと過ごしたのは中学生以来。あの頃は、遊んだり、掃除したり。なにやら感慨深い。これまでのお礼を言った。






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茫々日誌 2(5.7〜5.17)




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