- 茫々日誌 -


(5.7〜5.17)

1(4.19〜5.6)    3(5.22〜5.30)


5月7日

隣にある小学校の五年生たちが美術の授業で写生に来た。一版多色刷りの版木に直接鉛筆で描く。みんな線がしっかりして、大胆な構図の子もいた。羅漢たちも楽しそうに。




新たにギャラリーに連れて行った二人。ふうら茫々。




5月9日

四つ葉五つ葉を九本摘んで羅漢寺へ。「艸」の一字にはクローバーの花のぼんぼり。




顔など無くても、表情はある。光が差せば笑む。




5月11日

この絵を描いた筆は、羅漢寺の裏手に立っていたまだ若い棕櫚。それがある日伐採されていて、緑の葉柄が落ちていた。ちょうど筆の長さで三角の軸の感触も良かった。いまはもう緑が褪せて、茶色の軸。勝手に生えたのは野棕櫚というらしい。野良棕櫚とも。なんだかいい。




らかん茫々。 境内でヒヨドリが子育て。茂みでヒナがふるふる羽を震わせているのを見た。




5月12日

草野心平の生誕日だから、蛙に教わった歌を。

 ココロノトコロ コノトコロ
 ココノトコロヲ ココロセヨ

花見の帰りに聴いたモリアオガエルの歌を桜の小枝で。




いただきものを抱えて。
南アフリカ原産のイキシアという花であるらしい。

因みに風羅像は、信楽粘土、金沢イーハ陶房焼成。




羅漢場を揚羽蝶が飛び交う。この二人は最後列にいて、よく見渡せるだろう。いつものナミアゲハ、アオスジアゲハに加えて、クロアゲハも登場。今日は草画帖の第十号「胡蝶号」の発行日だからうれしい。




5月14日

パウル・クレーの絵にいるような……と感じてから、訪れる度に写真を撮っていた羅漢。他にもクレーを想い出させる顔の造形はある。ちょうど一年前くらいに、かれの描く天使に感銘と衝撃を受けた。そこで吹き込まれたスピリッツが「らかん茫々」を支えてくれている。




クレーの絵と、北条石仏。そこには造形的に何か通うものがありそうだ。ぼくにはもうクレーの自画像やら「セネキオ」が羅漢場に立っていたとしても何の違和感もない。




左は描き終わってすぐにクレーの絵にこんな人いたかな、と感じた作品。筆は胡桃。
右はクレーの忌日に、クレーの線を意識して描いた12枚の内の一。筆は泰山木の実。




5月15日

愛鳥週間。羅漢寺の薬師堂の屋根で仲睦まじいヤマバトの番い。石仏の頭に乗るスズメ、地面で巣材を拾うハシボソカラス。




今日は近在の(天台宗)寺院の集まりとかで、般若心経が響いてきた。羅漢たちの石の耳にも届いているだろう。
 しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき
 ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか
時の彼岸へ、彼らは風化しつつ往くのだろうか。




今日から後半。印泥が渇いたばかりの最新作を追加。タケノコの皮がくるくる巻いたもので。天まで伸びよ。




5月16日

羅漢寺の裏にノイバラが咲き、テイカカズラが咲き出した。境内に入るとツツジ、ウツギ、ヤマボウシなどの白い花。シラン、タツナミソウ、ツルニチニチソウの白花もある。もちろん白い羅漢も立っている。




こどもの日に描いた「縄跳びふうら」も新しく出品。

今日は北条小学校歴史ガイド隊の五六年生が三回目の羅漢寺実習。英語でのガイドもマスターするらしい。




マユミの小さな花に取りついて、翅を開閉しながら蜜を吸うヒメウラナミジャノメ。翅の一部が欠損しているが元気。




5月17日

羅漢寺裏の野茨。背丈ほどの小さい楓と双子のように立っている。夏はノイバラが目立ち、秋はカエデの季節となる。一見、モミジイバラとでもいうような雰囲気を醸す。




ノイバラの棘を取って筆にした。
 愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら
 花茨故郷の路に似たるかな
野茨は蕪村ノスタルジアの植物。背高桜林近くのは伐採整地されてしまった。蝸牛山の麓のは咲き群れているだろう。夜空の星はこの頃花茨のように瞬き、宇宙的な郷愁も湧く。




白い羅漢を紹介したが、赤い羅漢もいる。きれいな淡紅色で、文字通り異彩を放っている。ここの石仏は軟らかい凝灰岩で、地衣類、苔、黴、微生物などによって多様な色と紋様が着いている。その変化によって、かれらの表情も変遷する。






茫々日誌 1(4.19〜5.6)

茫々日誌 3(5.22〜5.30)



草人艸墨展入口  木の筆  草の筆