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ドド3
夜明け前に
ピアノを聴きながら
毎日一編ずつ詩を書く、
そんな暮らしは初めてのこと。
そう思ったら
急に夜空の星を思い出した。
スピカやレグルス、アルクトゥールス。
かれらと一緒に
太陽に追われ
夜明けに白んでいった日々。
それでも
この時間帯には何かがあった。
空気が澄んで
精神の見通しがぐっと良くなり、
黄昏素とか
薄明素とか
そんな不思議なものが
潜んでいるのではないか。
この時刻、与呂見の和尚は
雑木と雪に囲まれて座禅しているはず。
ヘールボップ彗星が
尾を立てて昇って来ても
和尚の座禅は
巌の如くだった。
ピアニストにとっては
座禅も作務も
ピアノを弾くこと。
一九五〇年代のピアニストたちは
星の出ている間中演奏した。
もっとも
ほとんど姿を消して、
療養所で生涯を送ったドドは別。
ドド・マーマローサは
再発見された時、
偶に施設の住人とゲストの前で
ピアノを披露する――と語った。
長い長い闘病生活で
何を見つめ、
白んだ指で
いつ、どんな風に
ピアノに触れていたのか、いなかったのか?
正しい生活はこうだ
そんなものがあるわけがなかろうが、
ドドは
ぼくは
どう暮らせばいいのか、
回答もないままに
鍵盤の蓋は閉じられる。
泉井小太郎 春とピアノ―[TOP][表紙][目次][前頁][次頁]