寂しい春に





 4月14日


新型コロナウイルスの脅威は春になっても衰えない。むしろこれからがこの列島では正念場。緊急事態が宣言され、家に籠もるのが最善の春となった。人類の半分が罹患するだろうとの悲観的な予測などを耳にすれば、肺に疾患をもつ身は覚悟の一つも二つもしなければならない。

おかしなもので、ここ数年はずいぶんな越冬態勢で風邪やインフルエンザを警戒、ある意味覚悟などもしてきたつもりだけれど、今度のウイルスに関してはまた違うらしい。なんとしても生き延びようと思う。





春になればあしうらの歩き神もむずむずなさるが、どこも自粛要請。但し、健康上の散歩は可とされているので、呼吸筋を保持するためにもなるたけ出かけよう。

昨日は雨で終日籠もって、あるものを探していたら、めったに開けない戸棚にふうらが何人か籠もっているのを発見した。懐かしいひとばかり。
それで今日はそのうちの一人を春光にお連れした。あとのひとは、またあとの日に。





ふうらはやっぱり野が似合う。戸棚の中では瞑想三昧、夢籠りも得手なひとたちだが、風や光や、草木のわいわいざわざわが何よりいい。





どこかの自然学校の先生と生徒の記念写真のように見えてきた一枚。
昔、新美南吉が野原でアザミの花たちに合唱を教えている夢を見た。


   *


もともと人通りの無い古い田舎町なので、そこらを散歩している限り、自粛前となんら変わらない。華やかな化粧屋台が町を練る春祭が中止になった代わりに、桜が例年よりながく咲いている。
この歴史的な、惑星的な危機に、春は春として巡り、草木は生命を進めている。草木は人類を応援してくれるだろうか。先の写真は、クローバーの一叢で研修を終えたふうらの記念撮影だったかもしれない。



一遍の春  ぶらぶら春を




ふうら逍遥