1月3日 |
極寒の正月。鐘つきにも行かず、草舎に籠もっていた。 三日は青空が広がり、ようやく羅漢寺へ。 元日には雪に震えただろう石仏たち。この日は暖かく陽もふんだんに降る。参拝者もちらほらいて、のどかな初春の空気が漂っている。メジロが椿や侘助の蜜にうれしそうな声を零す。 小さならかんが持っているのは何の葉か。 隠れキリシタン研究家によると、このひとはミトラという帽子を被り、棕櫚の葉を捧げもっているらしい。実際は聖書に多く登場する棗椰子のこと。それを棕櫚と訳してきたそうだ。 ヨーダに似ているといつか書いたが、キリシタン仏だと言われるらかんがいたり、パウル・クレーの絵に出てきそうならかんがいたり、羅漢場はなかなかエキゾチックで、コズミック。光が当たると、このひとはほんとうに神秘的になる。太陽はフォースだ、光はフォースだとつくづく思う。それを胸に蓄えたらかんに、この一年のフォース(元気)をお願いした。 神秘的と言えば、境内の最も奥でものしずかに佇むこのひとも、ひとり発光体となっている時がある。宗匠頭巾を被った芭蕉のような面影。生まれはやや早いのかもしれないが、俳聖と同じ時代を生きていたらかんたち。 西側最後列のらかんと対角線の、東側最前列のらかん。山茶花は毎年このひとの頭に一枚の花びらを置く。詩「どろん」を書き、詩集『春と石仏』の表紙を飾ってもらった。ことしもよろしくと挨拶した。 羅漢寺の帰りの裏径ではシロハラとキクイタダキに遇った。 |