3月11日 |
東日本大震災から十年。 羅漢寺の合掌羅漢を巡った。 十年前は震災の一週間後に羅漢寺を訪ねて、気がつけば手を合わせた羅漢の前に立っていた。普段はもっと謎めいた手や表情、佇まいに魅かれるのが、その日は違った。それらの合掌している羅漢たちを写し取って『羅漢合掌』という写真集にまとめた。 今日はまずその写真集の表紙の羅漢を訪ねた。時刻は14時46分頃。ちょうど隣りの中学校から「黙祷」の校内放送が流れてきた。 風もない暖かな午後。 羅漢たちは思い思いに立ち、こころごころに掌を合わせている 境内には他に若い女性が一人、ジーンズ姿で時折カメラを向けてシャッターを切っていた。入れ代わりには初老の夫婦。 メジロが椿の蜜を巡り、ハトの群れが羽音を響かせて旋回する。 啓蟄は過ぎたが、まだ虫は少なく、羅漢たちは蜘蛛の糸で繋がれることもなく、卵を産み付けられることもなく、きれいで穏やかな日々にある。 このひとも合掌のひとだ。合わせた手の下は無いけれど、祈りは不滅だ。 五十人ほどの合掌羅漢を巡るということは、すべての羅漢と相対することになる。なかには曖昧な手もある。摩耗、剥落したものもあるだろう。祈り、願いは合掌以外の羅漢にもあるものだ。 * 巡り終えてベンチで休んでいるとジョウビタキが現れて、来迎二十五菩薩の端っこの像に止まった。それで思い出した。去年の暮からこの一体一体を撮ってみたいと思いながら果たせていなかった。 今日はバッテリーの余力もある。疲れもそう無い。日は温暖だ。 ジョウビタキに誘われて、一体一体の前にしゃがみ込み、次の菩薩、次の菩薩と名札を詠み上げながら進んでいった。右側の半分でへばった。なんとか撮りきったが、またまたベンチで長休み。 この来迎二十五菩薩石像も全国で二番目に古いものであるらしい。 |