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はしがき
「山月記」の李徴は、ある夜、妖しい声を聞いて虎と化したらしいが、わたしは代わりに若々しいピアノをインターネットの原から聴いた。長年、ジャズ・ピアノを聴いた耳にも、不思議な浮遊感のある音、才気と実験精神に溢れていながら、スロー・バラードではとろりとした演奏をする。若者の名は、リチャード・ツワージク。愛称ディック。楽旅中のパリのホテルで、腕に注射針を突き立てたまま、あっけなく死んでいた二十四歳。
この半世紀以上も昔のバップ時代のピアニストが、なんで二十一世紀の落魄の老書生を春の野辺に連れ出してくれたのか。ようやく入手したアルバムに魅了され、ついうかうかと戯れの文句を書きつけて、妻の携帯電話に送った。妻は妻でこの不思議な感性に夢中で、以降書くともなしに書いたものを、一日一通送るうち、八年間途絶えていた詩なるものを綴っていた。それがこの「春とピアノ」である。
ディック・ツワージクは春の小鳥のように、いやもっと自由にピアノを歌う。音楽を歌う。それがいい。人間を歌うなどという、勿体な時間も余白も与えられなかった。ただ、天分のままにピアノを弾く若者がいて、未来も断ち切られたために、永遠に初心となった。
ディック・ツワージク以前に、ユタ・ヒップと、ドド・マーマローサのピアノを聴いて、かれらの生涯を思う日々が多かった。ディックと違って、二人は二十一世紀まで生きたが、長らく消息不明で、暮らしの中味も対照的。残されたそれぞれの希少な音源を聴くと切なさ限りない。
ユタ・ヒップの繊細な感性。だからこそ、強くあろうとする音楽的意志。ドド・マーマローサの鋭敏な神経と、優しく温かい心情。疾風怒濤の一九五〇年代のジャズ・シーンを生き抜けて来られなかった、これら三人の魂。
芸は本当に身を助けるのだろうか?
李徴を他人事ではないと思う者は多いだろう。ディックやユタやドドのような生涯も少なくないだろう。虎になった男は手が付けられないが、もっとかそけき魂は、その声を聞き届けたいと思う。
この記録は、三人のピアニストに寄せる思いに、わたし自身の復興をも願った、リハビリテーションであったかもしれない。
途中で東日本を未曾有の大災害が襲った。ペンは止まった。ニュース映像に釘付けとなった。この詩篇も水を被って反故になるのか――そう覚悟もしたが、四日目になんとか言葉が植わってくれた。
災害で多くの弱者が生まれた。
三つの魂のピアニッシモに耳をそばだてていた者には、鼓膜の破れるほどの音量となるだろう。独りではどうだったか分からない。ディック、ユタ、ドドらと一緒にいて、わたしは復興中の再興に向かうことが出来た。
「春とピアノ」――それは、単に音楽の意味合いではなく、弱いものへの共感であり共鳴であり、わたしもまた一つのピアニッシモの存在であることの表明でもある。
二〇一一年三月二五日 「Dodo's Back!」を聴きながら 泉井小太郎
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