詩集 与呂見村


  与呂見村 1991年春
  与呂見村 1993年夏
  与呂見村 1998年夏
  てふてふ 1999年秋
  あとがき 銀河国よろみ村
 





 与呂見村 1991年春



宇宙大爆発ビッグバン

かくて万芽の季節 かな

・・・・・

雪に埋もれて
一寒山
一寒村
一寒寺

田も眠り
畑も眠り
甲羅の下で
夢を抱く

・・・・・

(十八人――またそれぞれの自然薯じねんじょを掘るごとく)

・・・・・

エリダヌス川の畔り
貂が走る
三月の
心は
遠く南天のアケルナルまで

・・・・・

ゆう
むぎ
遼 りょう
だん
たんぽぽ
鹿ろく
あお
ふう
そして、うみ
まだ、無名子

・・・・・

また彼らも
我らも
てんであり
雪であり
火であり
炭素であり

万芽である

また互いに
むぎであり
鹿しかであり
かぜであり
うみであり
生まれてくる無名子である

・・・・・

蕗の薹――ここも原始未来中







 与呂見村 1993年夏



鬱蒼と私がある。
私の私ではない。
あなたの私。
燦然ときらめき、
蔓を伸ばし、
駆け回り、
枯死する、
蘇生する、
雨や霰の、
澱粉や蛋白質の、
彼らの私。
与呂見と名が付くものの全ての私。

日はどかどかとあり、
心もどかどかとある。

五家族  二十三人
居候     二人
馬      一頭
山羊     一頭
犬      一匹
猫      一匹
鶏     四十羽
田     二十枚
畑      五反
鍬      十本
鎌     二十本
スコップ   十本
穴窯     一基
炭焼き窯   一基
古耕運機   一台
古トラクター 二台
二屯トラック 一台
運搬機    一台
一輪車    五台
脱穀機    一台
発電機    一台
作業小屋   一棟
納屋     一棟
薪小屋    一棟
家屋     五軒
寺      一宇
水源     一処
書庫     一間
出納帳    一冊

どかどかと仕事はあり、
どかどかと空腹は来る。

これらまるごと、
ずーんと茂り、
人間だけで百本の手足、五百本の指、
それぞれ全開、合せて百二十五感が立ち動く。
空は無窮の、
雲は無涯の、
ここ。
いま。
牛虻が疾風し、蝦夷蝉が沈吟し、蜩が怒濤する。
蛹であるもの、卵であるもの、
生体であるもの、死体しにたいであるもの。
小楢から水楢、水楢から朴へ風は移り、
朴から楓へ、鳥は移る。
鵯であったか、懸巣であったか?
この山では、
ぬえが鳴き、梟が鳴き、
いかるが鳴き、時鳥が鳴く。
わー・おじなんぞは赤翡翠あかしょうびんを見かけたことも。
これらまるごと、
ずーんとうねり、
恒河がんがのように、
澱河でんがのように、
銀河ぎんがのように、
澄んでは濁り、澄んでは濁るものの、
どこからどこまでが、
それぞれ、私なのか、
あなたなのか、彼らなのか、
そんな人称の網ではもう掬い上げることも出来ぬ。
みー・おじ風に言えば、
なんつうか、
ただもう鬱蒼と、
大根の私、
蕪の私、
玉葱を剥くような私が、
いるのだよ。







 与呂見村

     ——五雲山龍昌寺一九九八

雑木山に囲まれて
農人
雑人
何と呼んでもいいが
深々と暮らす二十人
朝から
ぎゃてぃぎゃてぃ
懸巣カケスも鳴けば
わらべも鳴く

晴耕雨読といっても
耕すのは自分
読むのは天地
胡瓜一本イボイボの
苦みの極に曲がりゆく
それしん
日 月 星 辰にちがちしょうしん 山 河 大 地せんがだいち
ぼろ雑巾の
ぼろのまま

大いに食えば
大いに語り
大いに眠り
大いに目覚む
天蓋露けく
銀河一本ごうごうの
流れに浸って安らか
大いに濁り
大いに澄む





 てふてふ


    —与呂見村とーおじに(1950-1999)



青菜を食べて
闘病した
露をすすって
思索した
恋愛した
瞑想した
世界はずいぶん非情で
やけに官能的だと
最後に
きみは思っただろうか
いったい
去りゆくのはどっち?
きみが世界から?
世界がきみから?

 ○

われわれ青虫芋虫を
置き去りにして
さなぎになった
そんな案配の死に顔で
じっと瞑想は
きみの本領だから
なに
蝶になるのはすぐだろう

 ○

青い空
白い雲
そんなものはないか
赤い花
黄の花
そんなものもないか
はねも触覚もないだけに
気味が悪いくらいに
自由だろうか

 ○

こちらは
たしかに冬が来た
雷も大きく鳴った
きみの
新米も食べさせてもらった
思索も
恋愛も続くだろう
青虫たちは
みんな元気だ




 銀河国よろみ村

 石川県輪島市三井町与呂見の山中に「銀河国よろみ村」はある。雑木山を切り拓いて、禅寺を移築し、青年僧が一人棲みついた。もう、十数年前のことである。
 初めて会ったとき、この僧は、
『こくこくとおいしい水を呑むように暮らしたい。』
と、熱っぽく語った。まっすぐな、すさまじい気迫であった。その時すでに、おいしい水・おいしい自分を一緒に呑もうとする仲間がいて、村は三家族十人、財布を一つにしての自給自足生活を実践していた。

 農と禅。
 気ままな自由裁量の共同生活。
 春から秋は田畑の仕事に追われ、冬は雪の中で独座して、春夏秋耕冬読の天然周期。
 静かに精進していた村に、子供が増え、漂客、居候が相次ぎ、新たな家族も出入りして、いつもぶーんと唸っているような村の風景は圧巻であった。ごうごうと、音を立てて流れる暮らしというのも、そうざらにあるものではなかろう。

 「与呂見村一九九三年・夏」には二十枚とある田も、今では三十枚と聞く。米を作ることは、くにを、人間ひとを作ることに他ならないであろう。有機農法にも、単に肥料の問題に留まらぬ、有機世界、有機人間の復権への願いが籠められていようか。

 禅にも農にも疎く、「よろみ村」で座禅も稲刈りもしたことがない私の詩はいかにも貧弱である。
 「よろみ村」の醍醐味は「よろみ村」にある。
 住人ばかりではなく、ざわめく木立や、生育する野菜、繁殖する鳥虫や、往来する風雨、それら自我他我が渾然と織りなす妙味は、村民と言えども汲み尽くせるものではないのかも知れない。
 醍醐の中の一きくの甘露。
 僧の願いは等身大である。ゆえに切実の大事である。
 甘露を願って辛酸をめる。その味わいもまた天地のものか。

 写真は初めての野焼きの秋に撮ったものが二枚、表紙の稲架と、山羊のメヒスト。残りの一枚は住民の陶芸作品「大地の女」。馬のロシは相変わらず元気だが、メヒは今では太鼓の皮に名残をとどめるのみ。こうして見れば、よろみ村は写真の方がよくその実態を伝えるように思うがいたしかたのないところ。
 詩もこれから書くなら、もっと断章的なものでディテールを綴りたい気もするが、別に俳句を編んだ一冊があるので、とりあえずこれで<よろみ三部作>としたい。

 もともとまとめる気のなかったものだが、村民の一人から詩集を頂戴して、ならばこちらも冬籠りの慰めにと、老馬ロシの絵本を完成させて贈ろうと思い立った。その付録に句集ともども編んだだけのものである。
 よろみ村は現在進行形、わたしも未熟形である。
 これらの詩篇を将来破棄したくなるかもしれず、補いたくなるかもしれず。いまはこのままよろみ村に甘えておくことにする。






  詩集 与呂見村
  1999年1月20日 限定2部

  1999年6月25日
  フロッピー版エキスパンドブック

  2009年12月30日 ttz版
  2024年10月30日 増補改訂版 html

  泉井小太郎
  六角文庫





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