句集 与呂見村


  1988年 (7)
  1989年 (11)
  1991年 (15)
  1992年 (7)
  1993年 (16)
  1994年 (12)
  1995年 (4)
  1997年 (5)
  あとがき 衣食住学の四輪駆動
 



 村田啓子(よろみ村)墨画


 1988年


柿色のひと恋しさもありぬべし


月影のぽとりと落ちて転がりし

  ロシナンテという老馬あり
馬老てサンチョ・パンサは帰郷せず

  お山の前庭に一匹の蛇
晩秋の日差しの深きとぐろかな


山僧の釘うつ音もそぞろ寒


一僧を棒のごとくに赤とんぼ

  小高き林中にほの隠れたる案山子庵。
  中はなにやらむ古代の宇宙船の面影
  残して、主の文房は舵取室に似たり。
  遥かにして当どなき郷愁に誘はるる。
  わが哀愁館は、又、川辺りの難破船
  なり、漂着船なり。われもかれも、
  遠きより来て遠き彼方に行くならむ。

冬近しつくろひ果てぬ宇宙船


 1989年


  スバル・プレセペなど
うら若き村に星団霞みけり

  望遠鏡でレグルス観る
星密か地球の春をぼうじしめ


  *


時鳥夜の緑をつんざいて


虚々とばかりこの山寺の時鳥


僧の子に連れられゆけば麦の花

  遼君三才、言語豊富にて
  「オレ、これポイする」等、
  意志明確な硬派の幼童なり。
  完璧を「オレ、こんぺきにやる」等云ふも
  新鮮に聞こえて頼もし。

ポイすれば世も掌も涼しかろ


豆植ゑてこころ大事なもの植ゑて


一椀に地球のものの祭かな

  アルクトゥールス
麦といふ男児頭上に麦の星


夜といふ真只中にぬえの聲


南天の花のつぶての小悪童


 1991年


  海君逝く、八才
流氷のいづくの海を漂へり


氷解くる如く魂解き放つ

  又、生者は
たましひの結氷期とも云ふべかり


白日のこの白骨と白梅と


早春の雑木骨々こつこつ立ち竝ぶ

  たんぽぽ二才
蕗の薹変化へげの煙に摘みて来る


春笑の死者もろともの山河かな


まつすぐに飢えて童は雪を喰ふ


春人としてあい会へば事足れり

  与呂見の空は広く深し。
  オリオンから南流するエリザヌス川を臨む。

水ぬるむ頃の星夜のエリダヌス


大いなる星河の畔り一寒燈


  *


雑用に暮れて山家の薄紅葉


一房の葡萄ほどには喋らずや


秋深し無用の馬で永らへて

  台風19号
山やまに風の爪跡秋暮るる


 1992年



かなかなの収まりゆけば寺の鐘


鳴き止んで又かなかなのあしたまで


漂客も二三秋めく山の寺


山寺や破れ障子に盆の月

  野焼き
初秋の真白き灰を崩しかね


人情も小豆の色も深うして


初秋や猫も瞳孔ややひらき


 1993年



雷鳴の一つ初窯焚き了はる


  *


奥能登の冬の鉛に至りけり


霜の夜や窯は千度を超えてゆく


大霜や窯順調に炎えつづく

  嬰児花南、又老若の男女達
きらきらと人は生れて星と霜


朝霜の炭焼き小屋に煙立つ


深霜や小鳥の飢ゑもきんきんと


刈取つてひかりの束の霜柱


五つほど談義流るる大囲炉裏

  鹿四才
冬うらら擬音で続く児の語り

  信仰の農生活
白菜の甘味のほどを願ひつつ


信仰のしろさかぶらの泥まぶし


枯山の雑多の音の楽しさよ


さらさらと粉雪の散る思念かな


奥能登の名も無き雪の雑木山

   与呂見和尚の口吻を借りて
なんつうか寒貧かんぴんさらす大山河


 1994年



夏の雲ただ馬ただに生きおお


  *

  江崎満版画集「いろはにほへと」
荒星やこの好漢の感嘆詞


霰降り霰降りして火もつもる


焼かれゆく陶像百体冬銀河


ここにゐることを霰が叩きをり


はふはふとおでん喰ひ合ふやうなこと


星一つ冬の夜明けをほめたたへ


幾度もしぐれ降る夜に会しけり


枯山にしんじつ枯れる日の光


人乗せぬ馬の背に積む冬の雲


何の歌ともなく冬の口をつく


山麓の冬はずしりと黄昏るる


 1995年



炭袋「炭」と墨書のうつくしき

  元さんの手料理
夜話の骨董粥こっとうしゅくにあたたまり


雪の村馬の齢もつもりたる


人間もまた温石おんじゃくの天地かな


 1997年


  ヘールボップ彗星
彗星を迎へて国は木の芽時


窯小屋の灯り遠くに春の闇


金縷梅まんさくの風にくるくる回らねど


三月や木立に昇るほうき星


彗星は尾をひき和尚座禅中








 衣食住学の四輪駆動

 野焼きや窯焚きの折々に訪れた与呂見村の春秋。新鮮な印象をメモ代わりに俳句に書き留めてきたのが少しあった。絵本「ロシナンテ」がやっと出来たのを記念して、詩集「与呂見村」とともに露払い・太刀持ちの如くに作ってみた。

 「銀河国よろみ村」の最初の馳走は、大満月による黒々とした自分の月影であった。寒夜の大霜と星屑が天上地上で瞬き合うのも忘れがたい絶景であった。
 山赤蛙の声、ひぐらしの怒涛のコーラス、大根や人参やトマトの本然、にんげんたちの交感、どれもこれもあるがままの手料理盡し。わけても、次から次へ生まれ立って縦横に駆け回り育ち廻った子供たちには、ずいぶん多くのことを教わった。食事時には広い部屋に長卓を並べ、三十人前後で一斉に「いただきまあす!」と合掌合唱する。食べ終わった者から大人子供、村人客人分け隔てなく食器を洗って片付ける。その賑やかできぴきぴとしたダイナミズムもまた他では味わえない体験であった。若々しく素晴らしい村の時代におつき合いさせてもらったのは、なによりの幸せである。

 ただ一つ、残念なことがある。雪に閉ざされた冬の勉強会に招かれて、俳句の種を少しばかり撒いてきたのに、わたしの怠慢と無精がその世話を十分に果たさなかったこと。せっかくの発芽を放ってしまったことである。
 もしわたしが畑仕事に熱心であったなら、今頃は七〇余句の乏しいこの句集の代わりに、眩しい泥の付着した活きのいい句を大量に収めた「よろみ村句集」が出来ていたかもしれない。真っ先の読者になるのにと返すがえすも無念である。

 ともあれ、よろみ村の自然と人々に多くの感謝を捧げたい。
 「よろみ村」は、衣・食・住・学の四輪駆動である。喜・怒・哀・楽の大エンジンを噴かせて、二十世紀末の荒涼をゆく。






  句集 与呂見村
  1999年1月20日 限定2部

  1999年6月25日
  フロッピー版エキスパンドブック

  2009年12月30日 ttz版
  2024年10月30日 増補改訂版 html

  泉井小太郎
  六角文庫





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