銀河微塵列車
人なつこい岩手軽便鉄道が好きです。
たった一枚の愛らしい写真でファンも多いことと思います。
銀河鉄道のモデルにはなったものの、
彼はけっして星空を走ったわけではありません。
幻想第四次の世界にまで飛び込まなくとも、
わたしにだって目を瞑れば星空を駆けることは出来ます。
小さな望遠鏡があれば、目を瞠いて星団や星雲を巡ることも出来ます。
あのけなげな小さい列車には、
北の十字から、南の十字への単線一方運行の天の川本線ではなく、
重大な使命を担って走るのでもなく、
もっと自由に、もっと気ままに星空を巡って欲しいものです。
それだけ、淋しいかもしれません。
それだけ、頼りない思いで泣きたくなるかもしれません。
乗客もなく、こんどはたった独りの旅になります。
けれど、そう願ったのは彼自身だったのかもしれません。
賢治さんの生誕100年記念日間近いある日、
いつもの橋の上からふいっと夕空に向けて駆け上がっていったのでした。
そして、今年の賢治祭を控えたある夜、
長らく無方の宙をさ迷っていた彼の姿が、ちらりと星の間に見えたのでした。
二度とも、彼の絵本を描こうというのではなかったのです。
あの愛らしいたった一枚の写真が目に触れて、
ふらふらと彼の幻を追って、わたしも夢遊病のように出発してしまったのです。
だからといって、白昼夢だと片付けないでいて下さい。
あの列車はやっぱり、
<せはしく顫へたびたびひどくはねあがり>
<いるかのやうに踊りながら>、ジャズのビートで
いっしんに宇宙ののはらをさしてかけおりるのが似合っているのです。
たとえ、千億・百兆の輝く微塵列車となったとしても。
1998年9月 泉井小太郎
この絵本の原画は Photoshop で作製しました。
「Little Train-1」は1996年8月作画、
1997年2月にホームページ「貘の詩画館」内の「ihatovon」に発表、
「Little Train-2」は1998年9月作画、
オンライン賢治祭に「Little Train-1」と共に出品、ホームページに掲載しました。
あとがきの文章は、そのときのメッセージとして書いたものですが、未発表でした。