ピアニスト―桃筆


ピアニスト―桃筆




 ベートーヴェンは、その三十二のピアノ・ソナタにおいて、ピアノの表現力を最大限度まで高揚し、楽器を叩き割る一歩手前に踏み止まったかの感がある。リストのピアノ曲は、ピアノの雄弁学であり、人間の指の生理的運用の限度に到達してやんだもの、と言ってよい。
 ショパンはこの二人の大作曲家とは全く違った方向にピアノ音楽の沃野を開拓した。ショパンにおいては、彼自身全くピアノに没入し、ピアノの霊と一体になった。ピアノを駆使する代りにピアノのために詩を書き、ピアノをして歌わしめたのである。ショパンのピアノ曲には、氾濫する技巧もなく、不完全燃焼する感情もない。彼の作品の大きな特色は、珠の如き完成感と、高貴なる甘美さである。ショパンの音楽が、年齢を超え、時代を飛躍し、国境を無視して、誰にでも愛されるのはおそらくそのためであろう。



  ―野村胡堂『楽聖物語』ピアノの詩人ショパン(抜粋)




草人艸墨展入口ピアノを弾くひと