ピアニスト―槙筆


ピアニスト―槙筆



 ヴェネチアでは、ニイチェは、あるバロック式の古い館の、大理石を敷きつめた大きな室の中に住んでゐた。そこから聖マルコ寺院までは、埃のない、日蔭の多い、もの靜かな通りを、三十分位で散歩して來られた。ニイチェの大好きであつたヴェネチアの日蔭、――それは彼のその時書いてゐた本「曙光(モルゲンレエテ)」が長いこと「ヴェネチアの日蔭」(Ombra di Venezia)といふ題をつけられてゐたほどであつた。彼の生活は細心に規則的であつた。毎朝七時か八時頃から仕事にとりかかる。それから散歩と粗末な食事。二時過ぎになると、友人のぺエタア・ガストがやつて來る。このぺエタア・ガストといふ男は、バアゼル大學時代からのニイチェの教へ子で、いまは作曲家を志してゐる。ニイチェをヴェネチアに招んだのはこのガストであるが、いまはもうこの男だけがニイチェの忠實な友人であり、原稿の淨書やら、口授筆記やら、病氣の世話やら、何から何まで面倒を見てやつてゐる。そのガストが暫らく一緒にゐてから歸ると、又改めて七時半まで仕事をする。すると再びガストがやつて來て、夕食を共にする。ときには半熟の卵と水だけですましてしまふこともある。それから大概、一緒にガストの家に行つて、代る代るピアノを彈き合ふ。ニイチェは自分で作曲したものを彈いたり、即興曲をやつたりする。ガストはショパンに私淑してゐて、彼の曲ばかり彈いてゐる。このヴェネチア滯在中くらゐ、ニイチェは音樂に親しんだことはなく、そして彼はもはやショパンのみしか愛さなくなつてゐた。  ショパンとニイチェ。――この二人の病人、この二人の純潔な情熱家、この二人のいたるところを漂泊する孤獨者の間には、魂の血縁といふやうなものがありさうである。この二人の中で和音をして顫動してゐるものは、先づ、生きんとする劇的な悦びであらう。それから更らに附け加へたいものは、懷疑の裡に仕事をすることの愉しさ、――恐らくそれは、氣高い方法で苦しむこと、そしてそれを意識してゐること、それからまた、ありふれた光榮を約束させるやうな愚鈍な誠實さよりも寧ろちよつとした短い叫びの方を選ぶことの樂しみ、とでも云ふべきであらうか? とプウルタレスは穿鑿してゐる。


  ―堀辰雄「Ombra di Venezia」




草人艸墨展入口ピアノを弾くひと