詩集 オリオンの扉


 与呂見村 *一九九三年・夏



鬱蒼と私がある。
私の私ではない。
あなたの私。
燦然ときらめき、
蔓を伸ばし、
駆け回り、
枯死する、
蘇生する、
雨や霰の、
澱粉や蛋白質の、
彼らの私。
与呂見と名が付くものの全ての私。

日はどかどかとあり、
心もどかどかとある。

五家族  二十三人
居候     二人
馬      一頭
山羊     一頭
犬      一匹
猫      一匹
鶏     四十羽
田     二十枚
畑      五反
鍬      十本
鎌     二十本
スコップ   十本
穴窯     一基
炭焼き窯   一基
古耕運機   一台
古トラクター 二台
二屯トラック 一台
運搬機    一台
一輪車    五台
脱穀機    一台
発電機    一台
作業小屋   一棟
納屋     一棟
薪小屋    一棟
家屋     五軒
寺      一宇
水源     一処
書庫     一間
出納帳    一冊

どかどかと仕事はあり、
どかどかと空腹は来る。

これらまるごと、
ずーんと茂り、
人間だけで百本の手足、五百本の指、
それぞれ全開、合せて百二十五感が立ち動く。
空は無窮の、
雲は無涯の、
ここ。
いま。
牛虻が疾風し、蝦夷蝉が沈吟し、蜩が怒濤する。
蛹であるもの、卵であるもの、
生体であるもの、死体しにたいであるもの。
小楢から水楢、水楢から朴へ風は移り、
朴から楓へ、鳥は移る。
鵯であったか、懸巣であったか?
この山では、
鵺が鳴き、梟が鳴き、
鵤が鳴き、時鳥が鳴く。
わー・おじなんぞは赤翡翠を見かけたことも。
これらまるごと、
ずーんとうねり、
恒河がんがのように、
澱河でんがのように、
銀河ぎんがのように、
澄んでは濁り、澄んでは濁るものの、
どこからどこまでが、
それぞれ、私なのか、
あなたなのか、彼らなのか、
そんな人称の網ではもう掬い上げることも出来ぬ。
みー・おじ風に言えば、
なんつうか、
ただもう鬱蒼と、
大根の私、
蕪の私、
玉葱を剥くような私が、
いるのだよ。

(c) kotaro izui 1994

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