三月の雨
じつと雨を見てゐると、
しまひには雨が自分のやうに思へてきて、
へまなぼくがさかんに
降つてゐるのであつた。
―淵上毛錢「梅雨」
雨の九日
さかんに
誰やらのへまが降っている
と眺めていたら
そうだった
死んだ者のへまは
へまではなくなるのだった
では誰の?
とぼけても仕方あるまい
ぼくも
「人生の悲劇の尻つ尾ばかり握って」
ここまで暮らしてきたのだから
へまの質量とも
毛錢をしのいだろう
朝から
三月の雨を聞いて
さかんに
詩人のたまに降られている
自分のへまに降られている
なるほどこれが
彼の言う「豪華なひととき」
であるのか
※「 」内は毛錢の詩句から引用